幽かに生きてる

日常を考えています。日常エッセイ風一人コントブログです。

9は怒り

複数人で集まるところを目撃すると、誰彼構わず敵対心を抱かざるを得ない。

やたらと苛立つ日もある。普段なら見逃すほどのことも、本日は全世界の怒りをこの肩に乗せたような、決して己の内部からくるそれではなく、世界から理不尽に選ばれ被験者として決定されたかのようにイラだっていた。

狭い歩道で広がった大学生4人組。全員うつむいて指先の操作に集中したままないがしろな会話をしながらちんたら歩いている。

丑の刻参りやってやろうか。あなたのハートに五寸釘差しちゃうぞ♡

以前にも同じようなことがあった。夕方の嵐の中を歩いていて男女5人グループの横を通り過ぎた際の出来事だった。

女2人が相合傘でそのうちの1人が大げさに雷を怖がった。そこに傘を持たない眼鏡の男がここぞとばかりに女の肩に手を置き楽しがっている風の笑い顔を作っている。そんなに怖がるなよと優位に立っている。その後ろの男2人はこちらも相合傘で、雷にどれだけ怖がってんだよ。と小さい声で会話していた。

ただこれだけのことだが、このウソつきたちは何なんだと思った。すべてが表面的なリアクションで腹の底の真意とはかけ離れている。女の怖がりを起点とするこの一連の動きは、起点の欺瞞のせいで欺瞞が欺瞞を呼び和音が見事に響きあっている。心地よいほどに薄い。大学の近くで似合っていないスーツ姿だったのでおそらく就活中の大学生であろう。仮にこれが、創作物であるならば片っ端から殺していいと思った。

また以前から教員だとか上司だとかに受ける印象はいつも同じもので腹の立つものばかりである。別に何をされたわけでもないが、その態度は無関心でお前はいてもいなくても同じみたいな扱いを受け、やけに偉そうで明らかになめられている。無視されている感覚に近い。問えば返答はあるが、明らかに軽んじられている。言葉は私の頭上を通過して、私に語りかける人は誰もいない。そんなときは、もう本気で死んだほうがいいんではないか?と思うが、それならあいつらを殺すほうが先だ。と思い直すも、そんなことするつもりは毛頭なく、自分が死にたくないであろうことだけが分かった。

私は他人から少しでもネガティブな印象を感じ取ると心の中に黒ずんだ霧がかかり胸が苦しくなる。ましてや敏感になった心は本当に何でもないことですらネガティブに受け取り、ほとんどの時間、常にひとりでにうずくまっている。そうしてまた、出来るだけ他人と関わりを持つのはやめようと決心するのである。原因は自分の存在が認められていないが為の不満であり、怒りであると思う。それゆえ自分で自分の存在を認めてあげられれば、そんな不満もクソだと思えるのではないだろうか。1人でいるときにそれなりに幸せな理由は自分の存在を認めない人がいないからだろう。

怒っている私は復讐を果たさなければいけないと考えている。あいつらを上段の後ろ回し蹴りでゴミ捨て場に沈めてやりたい。

前を歩くおばあさんのバッグにはアベ政治を許さないのキーホルダーがついていた。この人は私と同じ気持ちを抱いているのだろうか。それとも周りに合わせているだけであろうか。

ここまでに散々怒りを書き連ねたが、どことなくやるせなく、自分にたいしてもイラだってきた。悔しさだとか悲しさだとか多くの感情を怒りで表現する、第二次性徴期的な未熟さを感じている。私はもっと出来るはずだと周りに示すために怒る。悔しさを込めて当たる。上手くいかない、こんなはずではない。いつもそう思っている気がする。

相変わらず他者に批判的で上から目線。自分では違うとお思いでしょうが、あなたが嫌っている人間はあなたと変わりないですよ。感情的であるし、偏見も多分に持っている。それあなたですよ、自分を認めて改めなさい。と天使が語りかけてくる。

奴らを死ぬまで呪ってやれ。学生の頃からほとんど永遠に感じている憎悪の炎が消えるはずもない。どこまでも憎しみ続けるのだ。あいつらが死ぬとき、それがいかなる死因であろうとも、お前の呪いが殺すのだ。と悪魔が語りかけてくる。

私はこの恐ろしい夜をエゲツナイトと名付けた。