幽かに生きてる

日常を考えています。日常エッセイ風一人コントブログです。

10は性欲

ガラスに映った自分を見たら頬の肉が薄すぎて、下手な占い師に死相が出ているとか言われそうなので、新宿駅前にいるストリートシャーマンの話聞いてみようかな。と思いつつファミマに入った。入店音に合わせて「ひだりのひと~とみぎのひと~」と口ずさみ、ご陽気に本日の昼食を選ぶ。

パスタかなオムライスかなざるそばかな、すると突然一人の女性が後ろから声をかけてきた。何食べます?と、えっ逆ナン、まじ?と思い少し震える。振り返ってみると、人違いでもなさそうだった。え、何ですか?と聞くと、え、何食べます?と同じ質問をされる。いや、今決めかねています。と答えるとそこの公園で一緒に食べませんか?と言われる。おいおいまじかよ。しかもそこそこかわいい。いやー、あるもんだな、都会。さすが。と思いつつ、あ、別にいいですよ。と私は気取った返答をする。私はおにぎりを2つ手に取り、彼女もおにぎりを買っていた。

私は8年間セックスをしていない。キスもしていなければ、手も繋いでいない。できなかったのではなく、していない。童貞ではない。これがまた厄介である。昼飯を一緒に食べるという話だけで、セックスにまでつなげてしまうこの思考で、こじらせ具合が分かると思う。

私と彼女は近くの公園に向かった。私はいつもここで昼食をとっている。その道中で彼女は死のうと思っている旨を打ち明けてきた。さすが。都会。私は話を聞いていた。話半分でパニクってもいた。彼女の顔を見ると陰鬱な表情をしている。彼女の話し方はたまに不自然な軌道を描き、私は大半の話の筋を見失ってしまった。その都度、聞き返すのだが、当たり前に話を続けていくので、調子を合わせて何となく聞いていた。どうやら彼女は精神病で通院していて、薬を服用していることだけは分かった。あと詩も好きらしい。暗い歌も好きらしい。イメージにピッタリのチョイスをしていた。

私がセックスをしていない理由は私なりの哲学に基づいた生活の結果であり、別に後悔だとか、不満だとかがあるわけではない。ただ私も人並みに、あーセックスしてーと独り言をつぶやく時もあるし、オナニーは普通にする。もしかしたら人よりも性欲は強いのかもしれない。決してセックス自体が悪いと思っているわけではない。セックスをする自分が嫌いなのだ。人と対峙しているにも関わらず、性欲に溺れていく自分が嫌いなのだ。事後、理性が霞んでいた、といつも後悔をしていた。

人は性欲に侵されてしまえば大なり小なり、理性を失うと思う。ゆえに、その人の嗜好によって、最中に相手が嫌がっているのにも関わらず過度な要求をする人がいたり、浮気や不倫があったり、犯罪があるのだろうと考えている。そんな話を聞いたりニュースを見るたびに胸を痛めるのだ。そして、こう言っている私も理性を失う。完全に失うわけではないが、かなり霞んでいると感じた。人は性欲に侵されてしまえば、明確に誰かを傷つけることが分かっていても、それをやってしまうのだ。私が何かをしたわけではないが、性欲による悪を回避するためと、自身で性欲を管理するためにセックスを拒否した。今でも性欲は諸悪の根源だと思っている。

公園でおにぎりを食べ終わると、彼女は先ほどの陰鬱は表情とは違い幾分明るくなっていた。彼女の話の端々で軽い冗談を差し込み笑いあうこともあった。彼女は一通り話し終えるとすっきりとした表情で名前と連絡先をメモに書き、私に渡した。インスタグラムもやっているとのことだった。連絡下さい、インスタも見てくださいね、と言い残し去っていった。

今になって思うのだが人間の脳が本能的な側面と理性的な側面でできあがっているとしたら、この「考える」という行為は理性的な側面であるため、いくら「考えて」も理性を優先し、それを飲み込もうとする本能を制約する働きは当たり前にも思える。

私は彼女の連絡先をポケットに入れた。厄介になりそうであるし、万が一セックスのチャンスが訪れてしまう可能性もあるので私は連絡しないと決めている。携帯を取り出して彼女のインスタをのぞいてみた。そこには男女で楽しそうな飲み会の写真や夕焼け空の写真、友人とのラインのやり取りなどもあった。決して多数とは言えないが、いいねもついて、コメントではその写真にまつわる会話を友人と楽しんでいる。ふざけるな、お前の方がよっぽど健全じゃねーか。

私はセックスをしないと決めている。でもどうしようもなくなったらあいつでヤリ倒してやろうと思う。私は連絡先を大切に財布に入れ替えた。