幽かに生きてる

日常を考えています。日常エッセイ風一人コントブログです。

6は不快感

通り雨にぶつかって、ずぶ濡れになった。私は高2の夏を思い出す。

部活が終わり、黄昏時の日陰のベンチで火照る身体を冷ましていた。近くの仲間とだべっていると、突然の豪雨。急ぎ屋内に逃げ込み外を見ると、バケツを返したような雨だった。地球の終わりが近づいている気分で少しワクワクしている。私たちはこの先の未来を、不確定なその先を、僅かに破滅願望を抱きながら過ごしていた。

皮肉にもその僅かな願望通りになった2018年、私は濡れた身体をいかんともしがたく、それとなく腕を払ってみたり、頭をかいてみたりしながら乾かぬ身体から水滴を落していた。道端でタバコを吸うおっさんの肩には、仏教系宗教画風のタトゥーが入っていた。フード付きのノースリーブパーカーみたいなの裸で着る人初めて見た。これ見よがしが過ぎるぞ、おやじ。

バイト先に入り挨拶を済まし、エアコンの前を陣取って身体を乾かした。周りにコソコソ言われている気もした。でも関係ない。身体が濡れている、いや最悪身体は濡れていてもいい。衣服がまとわりつくのがいただけない。この不快感はロシア人スパイの拷問にも使えると思った。すでに採用されているかもしれない。また一つ、国家機密に触れてしまった。

衣服も乾き、いつものように仕事を淡々とこなす。すると突然呼び出され、晴れたからと言って、別の建物に荷物を運搬するように命じられた。現在の外の状況は大量に水を打ったピーカン状態、餃子でも仕上げているのかと思うほどの蒸し暑さである。逆らう術を持たない私は従う。案の定、汗だく。案の定、羽根つき。見事に仕上がった。

羽根つき私は天使のようにふわふわとエアコンの前を陣取る。そこで何周していたかは分からないが、出来るだけまとわりつく衣服と身体にふわふわっと隙間を与えていた。てか、天使、服着てねーじゃん。よっしゃ、と服を脱げないのが社会のつらさ。別に性的な嗜好ではない、快楽を得たいのではなく、不快から逃れたいのだ。あー脱ぎたい。裸の爽快感を、いざ。あ、ちなみにこれ結構有名だけど陰毛をドライヤーの冷風で乾かすと気持ちいいよ。これ豆ね。

と、まあ昼間にさんざんと衣服の不快感を味わった私は帰宅後銭湯に行くことにした。帰り道はこの先起きうるであろう快楽に向けての妄想をしてした。ニタニタしながら駅の階段を下りていると、途中で東南アジア系の肌の色をした若い女性に追い抜かされた。後ろ姿しか見ていないが、短めの髪は癖のある濃い黒髪でその隙間、首の後ろ側には小さいマンダラのようなタトゥーが入っていた。何か本物っぽい、何か伝統的っぽい、何かカルマっぽい。よく分からないが、これだよ、おっさんと思っていた。

帰宅後、さらなるカタルシスを求めていた私はもう一汗かいてから銭湯に行くことにした。私は祭りを始めた。不定期開催アイドルソングで踊り狂え、一人裸祭り。大音量で流す音楽、もちろんイヤホンで。家でもイヤホンて、生きづらい世界。しかし、私は舞った、iPodのCMかと思った。この姿こそ本物の天使のようであった。

疲れ切った私はいざ銭湯へ。もう何も言うことない。最高。すべてが洗い流され、浄化された。唯一の心残りがあるとすれば、陰毛ドライヤーが出来なかったことぐらいであった。充足感を胸に心地よい夏の夜の風を切りながら闊歩すると、ふと思うことがあった。タトゥーの人たちこれ出来ないじゃん。銭湯入れないじゃん。何の修行だよ。いや、待てよ。これがカルマか?これこそが、カルマなのか。あのおっさんもカルマを背負っていたのだった。