幽かに生きてる

日常を考えています。日常エッセイ風一人コントブログです。

2は賭けごと

ギャンブルとはいかがなものか。

パチスロで9万溶かした。私はパチスロ狂で「気がつけば足が勝手に」タイプの病気ではないし、店に行くたびに目につく「俺より先に」と「俺より後に」をパチンコ屋で忠実に実行する目立つタイプのさだまさし信者でもなければ、もはやここで生活してますか?と思えるほどの馴染みかたで迷彩効果を発揮する泥顔の人間でもない。休みの暇つぶしに少しだけ、遊びの範疇をわきまえているのである。そんなスロットを5年程続けてきた。これは理想的とすら言えるスロッターの鑑なのである。負けることはよくあったが、何万もつぎ込み生活が苦しくなるほどの熱中はなかったし、真っ赤になったトーマスよろしくの粉塵巻き上げる暴走もしなかった。

これがどうも先月辺りから様子がおかしい。気付けばスロットを打つたびに負けているような感があった。これはもうダメだなと気付き、行くのは控えようと心に決めた。しかしまあ、一度取り返してから行くのはよそうと思いズルズルと通う。あれ、全然勝てないじゃないか。よし、取り返すまではいかずとも、一度大き目に勝てればよし、今までの負け分はくれてやる。そう思うが一向に勝てない。今までのはぼんやりとした不満であったが、それもどうやら形を帯びてきた。私は怒りを歩みに込めて、パチ屋に向かった。今日も勝てぬ。今日も勝てぬ。歩みは日々力強くなっていく。そして9万、、、。

今までは「人間万事塞翁が馬」を杖に帰り道を歩いてきた。しかしついに杖が折れてしまった。私は帰りの道中、膝から崩れた。忍び足で訪れた眼前の絶望と目が合った。給料日まではあと20日。脇の小さなカフェの店前には笹、願いを込めた短冊が掛けられている。私には願う気力も無い。逆側の公園には滑り台。どこまで滑り落ちていくのだろうか。遠く目をやり、その先の夜空には7月初旬のミルキーウェイ。私は絶望まで運ばれてしまった。天を仰ぐと電線にカラス、夜なのに。それを見ながら「早くねぐらに戻れよ」と思うと、その言葉は自分の状況にも該当し、客観視してニヒルに笑う。何とか立ち上がり、カラスと自分を急かすためにも一歩大きく足音を鳴らす。足音は夜の街に響く。しばらくの沈黙のあと、カラスは小さくコォイコォイと鳴いた。こいこい?お前はまだ勝負するつもりか、もう何もないだろう?私は手札を見直した。笹に短冊、滑り台に天の川、電線にカラス。なけなしの役しかない。どうする?カラスはサァサァと大きく鳴いて急かしてくる。私は冷静に決断する。こいこいは宣言しない。そのまま振り返り、残り20日間をどう過ごすかを考えながら帰宅した。

そして私はパチスロ界の激熱デー7月7日を前にこの勝負を降りた。